
こんにちわ。ひろとです。今日は阪神淡路大震災について調べてみたいと思います。
阪神淡路大震災とは
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)とは1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大災害。
阪神・淡路大震災
いつあったのか
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、M7.3[注釈 1] の兵庫県南部地震が発生した。
被害
近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模である。戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
頑張ろう神戸
1995年 阪神・淡路大震災は起こった。
神戸の街は崩壊したが、被災者は悲しみを乗り越え復興のために前向きに生きた。 一方、震災後、練習もままならなかったオリックス・ブルーウェーブだが、「がんばろう神戸」を合言葉にユニフォームの右袖に「がんばろうKOBE」のワッペンをつけ、被災地神戸の復興のシンボルとして「優勝」という目標を掲げた。
シーズン開幕を迎えたブルーウェーブは、被災地という状況でありながら神戸での開幕戦に踏み切る。
そこには、神戸にとどまり、市民とともに戦おうという想いと、何よりもそんなチームを被災者である市民が応援してくれたという背景があった。
そして迎えた開幕戦、交通事情の悪さにもかかわらずグリーンスタジアム神戸(現スカイマークスタジアム)には3万人の観衆が訪れる。
その応援に応えるかのように開幕戦勝利を飾ったチームはその後も快進撃を繰り広げ「優勝」という栄光を勝ち取り、市民を勇気づけた。
1995年リーグ優勝、それは「がんばろうKOBE」という合言葉を胸に、チームとファンや市民が一丸となった結果である。
15年前を振り返ると、リーグ優勝を果たし、選手個人の輝かしい成績も残されている。
「がんばろうKOBE」を合言葉に戦ったあの年。
素晴らしい成績の裏には、忘れてはいけない出来事、語り継がなければいけない歴史もたくさんある。
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